歎異抄(たんにしょう)
歎異抄・親鸞聖人をたたえる人々
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歎異抄解説
- 歎異抄 前序
- 歎異抄 第1章
- 歎異抄 第2章
- 歎異抄 第3章
- 歎異抄 第4章
- 歎異抄 第5章
- 歎異抄 第6章
- 歎異抄 第7章
- 歎異抄 第8章
- 歎異抄 第9章
- 歎異抄 第10章
- 歎異抄 別序
- 歎異抄 第11章
- 歎異抄 第12章
- 歎異抄 第13章
- 歎異抄 第14章
- 歎異抄 第15章
- 歎異抄 第16章
- 歎異抄 第17章
- 歎異抄 第18章
- 歎異抄 後序
- 歎異抄 注記
- 歎異抄 奥書
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重要情報を無料提供歎異抄前序 歎異抄を書いた目的
| 歎異抄原文 | 歎異抄現代語訳 |
|---|---|
| ひそかに愚案を廻らして、ほぼ古今を勘うるに、先師の口伝の真信に異なることを歎き、後学相続の疑惑あることを思うに、 | ひそかに愚かな思いをめぐらせて、かつて親鸞聖人から教えて頂くことができたあの頃と、今日を考えてみますと、 聖人から直接教えて頂いた他力真実の信心と、異なることが説かれて いるのは、なんと嘆かわしいことでしょうか。これでは聖人の教えを学ぶ後輩が、正しく学び、伝えるのに、疑いや惑いが生じかねません。 |
| 幸いに有縁の知識によらずば、いかでか易行の一門に入ることを得んや。 | 幸いにも正しい仏教の先生におあいし、導きを受けなければ、どうして真実の仏教の教えを学び、阿弥陀仏の救いにあうことができるでしょうか。 |
| まったく自見の覚悟をもって、他力の宗旨を乱ることなかれ。 | 決して、自分の考えで、真実の仏教の教えを乱してはならないのです。 |
| よって故親鸞聖人の御物語の趣、耳の底に留むる所、いささかこれを註す。 | そこで、今は亡き親鸞聖人がよく語って下された、耳の底に残る忘れられない御言葉を 少しでも書き残しておきたいと思います。 |
| ひとえに同心行者の不審を散ぜんがためなり。 | これはひとえに親鸞聖人の教えを学び求める同志の不審をはらしたいからなのです。 |
Contents
目次
歎異抄解説 前序
歎異抄を書かれた目的はこれ一つ
『前序』とは、「序文」「はしがき」「はじめに」にあたるものです。
著者が、歎異抄を書いた目的を記しています。
当時、親鸞聖人がお亡くなりになった後、
親鸞聖人が教えられなかったことを、
親鸞聖人の教えだと話をする者が現れてきました。
しかもそれは一人や二人ではありません。
それらは歎異抄の11章から18章にとりあげて論じられています。
ではなぜ、親鸞聖人の教えられなかったことを言って、
真実信心と異なる者が出てきたのでしょうか。
それは、親鸞聖人の教えを正しく知らなかったのでありましょう。
また、誰も知らないことを言って、人を集めたいという
名誉欲もあったことでしょう。
結局正しい教えがわからず、
みんな自分の考えで教えを曲げていってしまうのです。
それでよけい真実の信心わからなくなります。
しかし仏法は、人集めやお金で曲げていいものではありません。
決して、自分の考えで、真実の仏教の教えを乱してはならないのです。
そこで、これらを嘆き、
何とか本当の親鸞聖人のみ教えを伝えよう
と作られたのが歎異抄なのです。
「後学相続之疑惑有ることを思うに」も、
親鸞聖人の教えを学ぶ後輩が、正しく学び、伝えてゆくことが
できなくなるのではないか、
「何とか親鸞聖人の教えを後々の世の人に正確に伝えたい」
「その為にこの本を書いたんだ」ということです。
「ひとえに同心行者の不審を散ぜんがためなり。」も、
歎異抄の目的はただ一つ、
志同じく、親鸞聖人の教えを学ぶ
仲間たちの不審をはらし、
正しい教えを伝えたいということなのです。
歎異抄は、他力信心の極致が記されていますので、
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